またまたトラブルが降ってきた。
今度は私ではなく、子供のトラブル。
詳しくは書けないんだけど、「ええ!そんなことで!」
という理由で息子は、住まいを追い出されることになりました。
自分の事より、子供の事のほうがこたえる
自分が嫌な目にあうより、子供が嫌な目に合うほうがダメージ多い。
何かやり返すことはしなかったんだけど、追い出した奴の毒気に当てられて腹が立ちすぎて、吐いた

吐くのー!ってビックリした!
私も、もうアラフィフだもんね
やることやった後は、まあ仕方ないって、あきらめるしかない。
救いは嫌な目にあったはずの息子がひょうひょうとしている事でした。
ヨガの考えでは
人間は死んでも生まれ変わって修行をしている
嫌な目にあったとき、怒ることなく、自分がやってきた悪行が出たんだなと思って、やりすごすと悪いカルマが消えていくそうです。

子供がやったことも、自分のカルマ?
すべての事は自分からと考え責任を持つ
やり返して、胸がスッキリする事で相手に勝てるかもしれないけど、やられた相手はどう感じるだろう?
原始仏教では子供をかわいがれとは言ってない
お釈迦様が伝えた仏教の「慈愛」は自分の子や、仲良しの人だけ大事にという教えではないそうです。
慈愛は、生きとし生けるものに思いやりを持つ事と言ってます。衆生を救う!
愛着は欲望から離れられない事。欲望というとワガママで自分本位な人を思い浮かべる。
自分の子供だけ大事にするって言うのは違うんだね
愛着ってモノを大事にするとか、いい事だと思ってた。
腹が立つけど、手放したほうが楽
来世があるとか、前世があるって本当か分からないけど、起こったことは仕方ないと、手放したら、超楽になりました。
この考えで言うと、貧富の差があるのは不公平だって思うけど、お金持ちで何でもできる人は前世で徳を積んでるからいい所に生まれているってことになるのよね。
今悪いカルマをつんだり、人を嫌な目に合わせたりしたら、いつか悪い事が返ってくる。
来世虫に生まれるとか、地獄に行くかもよ。という教えって昔の日本人の身には、備わってたと思うんだけど、オウム事件のような新興宗教がおこした大変な事件の後から、宗教的な教えって怖いモノになっちゃったよね。
許せた自分をちょっと好きになる
意外だったのが、許した自分でいる方が気持ちがいいってことです。
これがもっと大変な事だったら、許すの、難しいと思う。世の中にはそれを許して生きている人達もいるんだよね。