この本は浄土真宗のお寺のお坊さんが書いた本です。
なごみ庵というお寺で「死の体験旅行」をされています。
死の体験旅行
参加者の人は、自分が大切にしている物、事、人、夢などカードに書き出します。
その沢山のカードを一つ一つ、捨てて行くと最後に何が残るのか。

最後に残ったものが、自分が一番大事にしているものですね。
でも死んじゃうと、それも残らない。
僧侶を偉い人と定義していない。
浄土真宗の僧侶は、教えを説く偉い人ではなくて、一歩先に仏教に触れただけの凡夫である。という考えなので
説教されたり、私にはお坊様のような厳しい修行できないとか、できない自分のことをダメな奴だと感じたりすることは無い。
相談しやすいかもしれない。
完璧な人生を送っている人がいるとしたら、平凡な人の人生が想像つかなくて何で出来ないんだと言われてかえって落ち込むかもしれない。
つい日常が当たり前になってしまう
自分にお給料をくれる会社や家にお金を運んでくれる旦那さんには感謝しなくてはいけないのにそれが当たり前になって、忘れてしまう

それどころか文句いっちゃう
自分がすでに持っている物には目がいかなくなる。
生きていることも当たり前になってしまうと、日常のささいな事が気になってくる。
私の一番大事なものは何だろう
考えるときに、自分の考えじゃなくて、人の答えを見てから書くことをしてしまう。
自分自身の答えでいいはずなのに。
それは、社会で生活していて周りに気を使ってたらある程度仕方ない事なのかも。なのでそれをとっぱらって
大事なものをノートに書いて、最期まで残るものは何か考えると、私の場合は、なんと
美味しい物を食べる
でした。
これって健康な体があって、自分で食べることが出来ないと難しい。
家でも調理を失敗して、本当はおいしかったであろう食材を無駄にしてしまうと本当に後悔する。
食べ物への執着があるのね。私
回復の見込みがない病気にかかって流動食で一生をすごすのだったら、もう病気を治さなくていいよと思う。
家族の事
特に家族って一番身近なので、つい執着して考えてしまうのだけど、家族皆が大人と呼ばれる年代になったら、突き放すのではなくて、その人のやりたいようにやらせてあげるのが一番だなと感じます。
死の体験旅行は、本当はなごみ庵に直接参加してやるのが良いのだろうけど、お家でやってみて感じたのが、客観視することの大事さでした。
死ぬときは皆平等にやってくる。
家族が病気したり、予期せぬトラブルに巻き込まれた時
死の体験旅行をした経験があったら、腹をくくれるのではないかと感じます。
ある家族の話
最近聞いた話で、お母さんが90近い高齢なのだけど、一人暮らしが良いと同居から自分の家に帰ってしまった話を聞きました。
週2回のデイサービスでお風呂にいれてもらい、自由気ままに過ごされているそうです。
本当に年を取ったら自分のペースで朝は11時ころ起きて、好きなものを食べて一人暮らしをするのが、幸せなのだと。孫たちの面倒も思い切りみたので、もういいと言っていて。
お家で亡くなってても気にしないでくれと言われているそうです。
私はどんな老後を過ごすのか、まだ分からないけど今の日常ってありがたいんだなとすごく感じる事ができた読書でした。